社会は総論にまとめた上で今の問題と先の問題のみを論じようとする。少しでも元気の出る話題を優先する。
しかし背景には死者たちがいる。そこに何度でも立ち返らなければならないと思う。
地震と津波の直後に現地で瓦礫の処理と同時に遺体の捜索に当たった消防隊員、自衛隊員、警察官、医療関係者、肉親を求めて遺体安置所を巡った家族。たくさんの人たちがたくさんの遺体を見た。彼らは何も言わないが、その光景がこれからゆっくりと日本の社会に染み出してきて、我々がものを考えることの背景となって、将来のこの国の雰囲気を決めることにはならないか。
死は祓えない。祓おうとすべきでない。更に、我々の将来にはセシウム137による死者たちが待っている。まき散らされた放射性の微粒子は身辺のどこかに潜んで、やがては誰かの身体に癌を引き起こす。そういう確率論的な死者を我々は抱え込んだわけで、その死者は我々自身であり、我々の子であり孫である。不吉なことだが否定も無視もしてはいけない。(中略)
これらすべてを忘れないこと。
今も、これからも、我々の背後には死者たちがいる。
— 池澤夏樹『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』(中央公論新社刊) P.9~P.10